私たちの歩み

ホームレス脱出後の生活づくりの支援の取り組みから見えてきたもの

               特定非営利活動法人ジョイフルさつき
代表理事 森口 芳樹

(1)さつきつつじ会とジョイフルさつきの歩み

①さつきつつじ会は、野宿生活経験のある生活保護受給者が生活づくりを助け合うためのグループとして1998年4月に出発しました。

 当時、私は野宿者ネットワークや釜ヶ崎医療連というボランティア団体に参加して野宿を余儀なくされている高齢者・障害者の生活保護の問題に関わってきました。大阪市は野宿生活者の生活保護について、「居宅がないから居宅保護はできない」という立場で施設や病院での収容保護のみに限定してきましたが、労働者の強い要望と闘いによって施策の転換をせまられました。

 1997年12月、大阪市立更生相談所は十数年ぶりに病院退院時の敷金支給を行いました。これ以降、施設退所時や病院退院時の敷金支給によって居宅保護(アパートでの生活保護)に移る人が少しずつ増えてきました。

 当初は居宅保護で一件落着という思い方でしたが、実際に関わってみるとそう簡単な問題ではありませんでした。皆さん様々な問題を抱えておられます。しかも頼れる身寄りがなく孤立した状況にありました。そこで仲間同士の助け合いで生活づくりをすすめていこうという趣旨でさつきつつじ会の立ち上げを考えました。

 1998年2月、居宅保護を受けた人が集まっておしゃべり会を会員宅ではじめ、4月に私と当事者7人で発足しました。おしゃべり会と遠足で親睦を深めました。

 さつきつつじ会は『身寄りのないもん同士が連れ合ってワイワイガヤガヤ言いながら自分らしい生活づくりをすすめよう』をモットーとしています。会費1カ月500円。

②野宿脱出後の生活保護受給者のおかれている状況

 例えば、日雇生活から月8万円の消費生活への切り替え、金銭管理の問題、病気とのつきあい、入院の時、アルコールの問題、隣近所との関係、サラ金問題、障害をもったときのこと、以前の友人との関係、万が一の不幸の時の事、パートナーとの離別等々。

 特に、建設日雇一本の仕事人間だった人が8万円の消費生活者になり、生活のリズムをつくることには大きな苦労が伴います。また、からだが動かなくなって単身生活が難しくなると、施設入所となります。施設の中には劣悪な施設も少なくありません。さらに、孤独死と無縁仏というつらい出来事もあります。

③1998年秋以降、作業所づくりを話しあいました。

  きっかけは会員数が20人に増え、私が仕事を終わった後、一人でアパート訪問していくことがきつくなりました。皆さんが寄れる場が作れないかと考えました。また居宅保護に移った直後に脳出血を発症された方がいました。脳出血の後遺障がいで右半身障がいがありましたが、アパートに戻りたいという希望を強く持っておられました。その方の生活づくりをなんとか支えていけないものかと思いました。また様々な相談が寄せられるようになりきちんとした対応解決が求められました。それで障がい者団体の「パーティ・パーティ」に相談に行き「パーティ・パーティ」の協力を得て作業所づくりを進めました。そして1999年5月、西成区長橋2丁目で作業所=寄り場の立ち上げにこぎつけました。ここを拠りどころに生活づくりの支援のとりくみをすすめました。

 主な活動は次の通りです。

  1. 生活づくりのための様々な相談活動
  2. 障がいを持った高齢者の生活づくりの支援
  3. 高齢者や障がい者に見合った作業 アパートの清掃作業や内職
  4. 生活保護の相談
  5. 会員相互の親睦(遠足や囲碁将棋の会、カラオケ、芝居見物、釣り、誕生会等々)
  6. 亡くなった会員の追悼(お葬式の段取り、仏壇、お盆の法事) 
    追悼の取り組みは、さつきつつじ会という小さなコミュニティの精神的な結びつきの中心という意味を持ちました。

④会の発足から数年たつと、様々な問題にぶつかりながらも生活も落ち着き、さつきつつじ会の内実も少しずつできてきました。また、「気さくに何でも話できる雰囲気がいい」と言って野宿経験のない人、年金生活者なども出入りするようになりました。その人たちに接しながら、野宿経験ということにあまりこだわらなくてもいいなと思うようになりました。地域に根ざした生活づくりやコミュニティづくりの課題は、野宿経験のある、なしにかかわらず単身高齢者の直面している問題です。

 そこで2001年の総会で会の性格を「野宿生活経験のある生活保護受給者の会」から「釜ヶ崎ー西成の単身高齢者の会」に変更しました。代表も当事者から森口に交代しました。当事者でない森口が代表となる意味について色々考えました。一番ぴったりしたのは墓守の役割です。

⑤会員の中で介護が必要な人が増えてきたので介護保険の訪問介護事業所を設立することにしました。2002年2月にNPO法人ジョイフルさつきを成立させ、2002年7月からヘルパーステーションさつきで訪問介護事業を開始しました。「パーティ・パーティ」から独り立ちすることにしました。障がい者の小規模作業所の補助制度を利用するのはやめ、訪問介護事業で自分たちの基盤づくりを進めました。2003年2月に西成区鶴見橋2丁目に引っ越ししました。事務所の1階は呼び名は作業所から宅老所に変わりましたが、そこを寄り場にしたさつきつつじ会の活動は作業所のときと基本的には変わっておりません。

 また、ジョイフルさつきは2003年7月から障がい者の居宅介護事業、2005年7月から介護保険の居宅介護支援事業も開始しました。

 さつきつつじ会とジョイフルさつきの関係は、さつきつつじ会は釜ヶ崎-西成の単身高齢者が生活づくりを助け合うためのグループです。ジョイフルさつきは支援事業を展開するための事業体です。

 さつきつつじ会の会員の皆さんは年とともに毎日毎日の生活をこれまで通り維持していくのが精一杯になってきました。会としては1年間の活動方針を決め皆で一緒になって活動していくのがいいのですが、とてもできません。2007年の総会でさつきつつじ会は小さな親睦団体としていくことを決めました。

⑥ジョイフルさつきは2008年から成年後見(任意後見)事業を開始しました。きっかけは個人情報保護法の成立でした。単身の高齢者が入院して判断力が衰えたり自分の意思を十分に示せなくなった時、病院の医師の判断で本人の意思がないがしろにされ本人が求めていない処置をされたり病院をたらい回しにされることがあります。以前は支援者が医師に病状を聞いたら一定教えてくれましたが、個人情報保護法ができてからは説明を聞くこともできないし、さらに転院しても転院先も教えてくれなくなりました。劣悪な病院ほど個人情報保護をたてにして何も教えてくれません。

 それで入院した時、不当な権利侵害に遭わないようにするため成年後見(任意後見)の取り組みを始めました。主眼は財産管理ではなく(生活保護受給者ですので財産と言えるものはありません)、入院契約や医療契約、福祉契約などの身上監護です。公証役場でジョイフルさつきと、任意後見契約を希望するさつきつつじ会の会員が任意後見契約を結び、判断力が衰えた時、大阪家庭裁判所に任意後見監督人の選任申立を行い、後見を開始しています。これまでにジョイフルさつきとの間で任意後見契約を結んだ人は12人、そのうち後見を開始した人は7人です(うち5人死亡)。

⑦ジョイフルさつきは2013年9月、就労継続支援B型事業所のジョイフルさつき作業所えんを開設しました。きっかけは3つありました。一つは、会員が相次いで亡くなり、さつきつつじ会の事務所に来る人も少なくなり、会員の常連の人が一人で留守番していることもよくありました。そこでさつきつつじ会の事務所を会員の寄り場として維持し活気あるものにしていくためにさつきつつじ会の作業所の取り組みをベースにしながら障がい者の作業所を考えたわけです。二つは、ジョイフルさつきの訪問介護事業はさつきつつじ会をベースに展開してきました。重度であっても在宅・地域でその人らしい生活を支援していくというスタンスで取り組んできました。広く浅くではなく狭く深くとしたために事業経営の不安定性を抱えていました。その打開です。三つは、介護保険事業では高齢者はビジネスの対象です。訪問介護サービスの必要性は十分わかっているのですが、ビジネスの対象として見ていくあり方が何とも言えないものがありました。高齢者は、ビジネスの対象としてサービスを受けるだけの存在ではない、価値を生み出す存在なんだと声を大にして言いたかったです。ただ、障がい福祉サービスの領域でも障がい者をビジネスの対象として見ていく考えが広がっています。

(2)私たちの取り組みを振り返って

①さつきつつじ会の会員の皆さんは1カ月500円の会費を必ず払われます。会費は500円保険という側面もありますが(毎月500円払えば困った時、必ず助けてくれる)。1-2カ月に1回持ってくる人もおれば、6カ月や1年間まとめて払われる人もいます。これはこの20年間変わりません。滞納している人がいれば年1回の総会の前に会費支払いの意志の有無を確認し、支払わないということであれば退会の扱いにしますが、そのような人はほとんどおられません。組織として言えば当たり前のことなんですが、「タダが当たり前」という釜ヶ崎の世界では画期的なことです。会員の皆さんのさつきつつじ会への帰属意識は強いです。

②さつきつつじ会の会員相互の横のつながりはなかなか難しいです。今でも森口を媒介にした横の関係という側面はあります。一人ひとりの経過や事情は違うし、気の合う、合わないもあります。対行政の運動体でもありません。生活づくりを助け合っていくためのグループです。皆さんの中では「自分らしく生きる」という生き方は意識されていると思います。仲間の会員が必死になって生き抜こうとしている時、皆さんはじっと見ておられます。

③私はさつきつつじ会の取り組みの中で人間の生き方、人生のあり方ということを本当に色々勉強させてもらいました。釜ヶ崎のおじいたちが目の色を変えてもう一花咲かそうと頑張る姿はすごい迫力がありました。年とともにパワーは落ちましたが、心意気は変わりません。おじいたちからは「『他人を欺くことができても自分を欺くことはできない』、信頼こそが一番大事なんや」「草の根の取り組みを忘れたらあかん」「人を増やすのはいつでもできる。『背中を掻いて』と言うた時に背中を掻いてもらえるような近しい関係が大切なんや」「生きる重みと明るさ」と言われました。釜ヶ崎労働者の義理人情の厚さ、仲間への思いやり、気性の激しさと誇り高さを知りました。また、「釜ヶ崎の水にどっぷり浸かった」人が生き方を変えていく姿は衝撃でした。人は60歳、70歳になっても生き方を変えていくことができるんだと知りました。また、障がいを受容できずにアルコールにおぼれ悶え苦しんでいた人が病気を再発してさらに重度の障がいを持った時、必死に生きようとして家に帰り自分の望む生活を1年、2年かけて作りあげられました。障がいの受容という大きな壁を乗り越えられました。また、難病と苦闘していた人が絶望と恐怖に押し潰されそうになりながらも、気持ちを通じ合う人ができ自分の城を持つことができたことが力となり、最後まで自分らしく生きることを貫かれました。人は想像もできないような力を秘めています。奇跡のような出来事も起こりうるのだと教えてもらいました。

④その一方で、少数者への想像力の乏しさがありました。釜ヶ崎は世間から疎まれはじき出された人たちが「釜ヶ崎に行けば仕事がある」と言われ、全国から集まってきました。その意味では弱い立場の人です。弱い立場の人だから他の弱い立場の人に対して思いやりがあるかと言えば必ずしもそうではなかったです。釜ヶ崎は労働の街です。労働できるかどうかで人間の価値まで決められます。労働できなければ人間以下です。しかも、建設職人の世界では徒弟的な人間関係が根強いです。親方-職人-徒弟(丁稚・小僧)という縦の関係です。弱い立場の人なのに弱肉強食の論理がまかり通っていると感じることがあります。働くことのできない障がい者は存在の価値まで認めないような暴言を耳にすることが今でもあります。女性はかしずく存在とみなされセクハラ言動も少なくありません。少数者の権利主張に対してマスコミの扇動やバッシングにすぐに乗ってしまうこともあります。このような状況をどのようにしたら変えていけるのかはわかりませんが、「他人の権利を尊重しない人は自分の権利も尊重されない」ということを言い続けていかねばならないと思います。

⑤ジョイフルさつきは介護保険の訪問介護事業を基盤としてきました。訪問介護事業を基盤とすることは難しかったと実感しています。一番の大きな問題は介護保険制度の要とされるケアマネジメント方式です。ケアマネージャーによるケアプランの作成によるケアマネジメントは世界にも例を見ない日本独特のやり方です。介護保険制度は「利用者本位」をうたいながら実際は「ケアマネ本位」「ケアマネ任せ」です。マイケアプランも制度上は認められているのですが、ほとんどの人は知りません。自分でケアプランを作れる人もケアマネージャーに任せるような形になっています。ケアマネージャーはその介護サービスを利用するかどうかを決める権限を持っています。「アセスメント」が声高に語られ人の生活(プライベート)に躊躇いもなく介入していきます。プライバシーを尊重せずに人間の尊厳を守ることなどできるはずもありません。高齢者の主体性が蔑ろにされています。介護保険制度の中で訪問介護事業を展開していく時、大事なもの・大切にしなければならないものが本当に見えにくくなってきたように思えます。

 さつきつつじ会・ジョイフルさつきがよって立つところは、対等な立場での信頼に基づく人間関係の形成です。自分たちの立脚点を見失うことなく制度を活用する力を身につけていきたいと思います。

⑥さつきつつじ会は高齢・障がい当事者会員は多い時は42人いましたが、2018年10月現在は9人です。スタッフ会員は4人。高齢・障がい当事者会員の年齢層は69歳から88歳。平均年齢は81.1歳。一方、41人の方を追悼しています。主な活動は親睦活動(遠足、カラオケ同好会)、亡くなった会員の追悼(お盆の法事)です。

 ジョイフルさつきの主な事業は障がい福祉の就労継続支援B型事業、介護保険の訪問介護事業、成年後見(任意後見)事業などの権利擁護活動、生活保護などの生活相談活動などです。(居宅介護支援事業と障がい福祉の居宅介護・重度訪問介護事業は中止しました)。

 ホームレス問題の解決とは何か。当初は居宅保護で一件落着と考えましたが、そうではありませんでした。さつきつつじ会・ジョイフルさつきの取り組みを通して次のように考えます。「波乱万丈の人生を生きてきた方が在宅・地域で穏やかな生活を取り戻す。人とのつながりを育みながら自分らしい・その人らしい生活を作りあげていく。さいごに生きてきて良かったなと思える」-そのような人が一人でも増えていけばと願って今後も歩んでいきます。